2023年 6月 16日 KDSウオーキング(新駅~横浜国大キャンパス内 散策)の実施報告
6月16日当日は梅雨の時期ということもありますが、天気予報では所により激しい雷雨が予想されるとのことで心配しておりましたが、真夏を思わせるような天気で、参加者は31名でした。
本年(2023年)3月に開業した新線【相鉄・東急新横浜線】の「羽沢横浜国大駅」を出発し、入り組んだ住宅街をゆっくりと歩くこと30分ほどで横浜国立大学北門に着きました。キャンパスに入ってからは、暑さを考慮して水分補給や休憩をとりながら散策し、構内に設置された記念碑【名教自然碑】を見学、記念碑の前で集合写真を撮りました。そのあと、緑豊かな構内をゆっくり散策し、混雑する時間を避けるため早めのランチではありますが、大学内の第一食堂で学食を楽しみました。ランチ終了後、現地にて解散、大多数の方々は大学の正門から地下鉄の駅へ出て帰宅の途につかれました。「このような企画がなければ新しく出来た路線に乗ることはなかったかもしれない。」との感想をいただきました。
名教自然碑(国登録有形文化財)について ・・・画像参照
名教自然碑は、横浜国立大学理工学部前身の横浜高等工業学校の初代校長である鈴木達治の功績を讃えて建立されたものです。「名教自然」の四文字には、自学自発の教育の精神が込められています。正面に鈴木達治自筆の「名教自然」の文字、裏面に原三渓による楷書で徳富蘇峰の撰文が彫り込まれています。
横浜国大の碑になるような人物が同志社卒業生とは夢にも思わず、今になって下記のとおりと判明しました。
鈴木達治は、1886年9月、同志社英学校に入学、英学校4年終了時の1890年9月、ハリス理化学校(同志社大学大学院理工学研究科・理工学部の前身)に1期生として入学します。同志社時代には校長の新島襄と歴史教員の浮田和民から影響を受けました。
同志社ハリス理化学校を卒業後、いったん帰郷しましたが、1897年7月、東京帝国大学理科大学(1897年東京帝国大学に改称)に入学します。1900年7月東京帝大を卒業後、第二高等学校教授などを経て横浜高等工業学校の初代校長に就任します。
(文責:加藤(s44年卒)、写真:江澤(s45年卒)、木原(s46年卒))