2024年 1月 24日 神奈川同志社歩く会(藤沢七福神と源頼朝・義経ゆかりの地巡り)実施報告

2024年1月24日(水)、好天下10時藤沢駅サンパール広場に集合、参加者(33名)を確認後、旧江の島道を藤沢宿方面へ出発。
藤沢七福神は海側の江の島地区に2箇所、西側の辻堂付近に2箇所、東側の遊行寺付近に4箇所と分散しているため、今回のコースは源頼朝・義経にゆかりの東側地区の2箇所を巡りながらの福神参拝でした。

最初に常光寺(写真1枚目:「福禄寿」を祀る)を見学
元亀3年(1572年)鎌倉光明寺二十七世、明蓮社光誉が創立。その後明治5年(1872年)藤沢・邏卒屯所(警察署)が一時期、設置された。
藤沢市指定有形民俗文化財に次の2点が指定(1977年4月13日指定)。
*万治2年庚申供養塔
*寛文9年庚申供養塔
藤沢市指定天然記念物(常光寺の樹林)
昭和59年(1984年)「かながわ名木100選」に選定されたカヤの木 : 樹高25メートル、 樹齢約300年

その後、義経首洗い井戸を見学後に白旗神社へ。
白旗神社(写真2枚目:「毘沙門天」を祀る)は、
御祭神:寒川比子命 源義経公 天照皇大神 大国主命 大山祇命 国狭槌命
由緒 :古くは相模一の宮の寒川比子命の御文霊を祀って寒川神社と呼ばれていた。
しかし、創立年代はくわしくはわからない。
鎌倉幕府によって記録された「吾妻鏡」によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、文治五年(1189)閏4月30日奥州平泉の衣川館において自害された、その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は、腰越の宿に着き、そこで和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、首実検がなされ、夜の間に二つの首が、この神社に飛んできたという。この事を鎌倉「頼朝」に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで義経公を御祭神に、のちに白旗神社とよばれるようになった(白旗神社高札)。海に捨てられた義経首が片瀬川を大潮にのって流れ着いた伝承も捨てがたい思いです。

白旗神社見学後旧東海道を藤沢駅に向かい、藤沢宿 蒔田本陣跡、旧・桔梗屋の文庫蔵等をたどりながら、ふじさわ宿交流館で小休止し、12時に藤沢駅で解散。約4キロの行程でした。

(文責:江澤(s45年卒)、柴(s43年卒)、写真:江澤(s45年卒))

常光寺(藤沢七福神)にて

白旗神社(藤沢七福神)にて

義経首洗い井戸

白旗神社