新島襄先生とゆかりの地(神奈川県:「横浜港・象の鼻埠頭」 と 「大磯」)について

新島襄先生は、1864年(元治元年)鎖国の国禁を犯して函館から出国し米国に渡り、幾多の試練を乗り越えて、日本人では初めて米国の大学を卒業し、キリスト教主義の私学を日本に創ろうとの大きな志を抱いて、10年後の1874年(明治7年)11月26日に横浜港に帰国されました。
そして、早くも翌年1975年(明治8年)には京都で同志社英学校を開校されました。
その後、大学設立のため奔走中に病に倒れ、神奈川県大磯町にあった百足屋旅館で静養中の1890年(明治23年)1月23日に、46歳11ヶ月の生涯を閉じられました。
神奈川県支部では、この二つの地を資産と捉え守り伝えていく必要があると考えております。


◆横浜港・象の鼻埠頭(象の鼻パーク)

明治初期の“象の鼻埠頭”(横浜開港資料館所蔵)

新島襄先生が1874年(明治7年)に米国から帰国して日本に上陸した埠頭は、現在“象の鼻パーク”として整備されています。2009年(平成21年)の横浜開港150周年に建設された“横浜港の歴史”を書いた看板の「主な人物や船の往来」の中に『明治7年 教育家新島襄がアメリカから帰国』と記載されています。
また、2014年(平成24年)11月26日に新島襄横浜港帰国140周年記念行事の一つとして横浜赤レンガ緑地内に“オオシマザクラ”を植樹しました。

プレート「主な人物や船の往来」

オオシマザクラの木

 

 

 

 

 

 

 

 


◆大磯・百足屋旅館跡

百足屋旅館跡に建つ“新島襄先生終焉之地”碑

静養先であった大磯・百足屋旅館跡には「新島襄先生終焉之地」碑が建立されており、ご命日の1月23日には学校法人 同志社の主催で毎年“碑前祭”が行われ、多くの学校関係者や卒業生などが集まって先生の遺徳を偲んでいます。

 

 

大磯・百足屋旅館の離れ 愛松園

新島襄先生 臨終図

(「大磯・百足屋旅館の離れ 愛松園」 および「新島襄先生臨終図」 はともに、同志社社史資料センター所蔵)

 

 

 

新島襄先生終焉の地 碑(昭和15年当時)